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自分も人間、敵も人間。イマドキの戦隊モノが表現することとは

東映のスーパー戦隊シリーズは、今年4月で放送開始から50年の節目を迎えました。
2月より放送されている「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」(朝日系)は、正義と悪の線引きがはっきりしない、これまでにない個性を持つ戦隊として注目されています。
価値観が揺らぐ現代において、このようなヒーロー作品は私たちに何を問いかけているのでしょうか。
また、私たちが子どもたちに接する際に、大切なヒントがたくさん隠されているように感じるのは私だけでしょうか?
(※2025年7月30日 朝日新聞の記事を参考に要約しています。)

ヒーローも敵も同じ人間。分断の時代に描かれる新たな戦隊像

スーパー戦隊シリーズに登場する全ロボットたちが力を出し尽くして戦った「ユニバース大戦」。
その戦いを制したのは、巨大な神「テガソード」でした。
その力が込められたセンタイリングをすべて集めることで、どんな願いも叶えられるという伝説が生まれました。
現在放送中の「ゴジュウジャー」では、遠野吠をはじめとする5人の戦士と、敵勢力であるブライダンとの間で、この指輪をめぐる壮絶な争奪戦が展開されています。
センタイリングを手に入れることで、過去のスーパー戦隊のヒーローに変身できるという、50周年記念ならではの演出も注目を集めています。
この作品は、「正義のために力を合わせて悪と戦う」という従来の戦隊のイメージを大きく覆しています。
ゴジュウジャーのメンバーは、それぞれが自分の願いを叶えることを目的に行動しており、いずれ仲間同士が敵になるかもしれないことを隠していません。
東映の松浦大悟チーフプロデューサーは、「ゴジュウジャーの姿は、コロナ禍を経験し、孤立や分断を感じながら生きている現代の人々を象徴しています」と語っています。

あいまいになるヒーローと悪の境界線、共感から生まれる新しい正義

この作品では、「正義」と「悪」の線引きがあいまいに描かれています。
敵であるはずのファイヤキャンドルでさえ、センタイリングの力で戦隊ヒーローに変身してしまうのです。
「ヒーローは正義、敵は悪」という記号的な構図ではなく、どちらも同じ「人間」として表現することが意識されています。
スーパー戦隊シリーズは、明るく前向きな力で何かを肯定する特徴を持つ作品です。
その肯定の力を、たとえ「ろくでもない」と思われる人物に対しても向けようという想いが込められているそうです。
では、「ゴジュウジャー」はどのような正義を描いているのでしょうか。
第1話で主人公・遠野吠がセンタイリングを手にしたときのセリフが象徴的です。
「世界がどうなろうと関係ねえ。破滅も知ったこっちゃない。でもな、あいつにまだ250円返してねえんだよ」。
この言葉とともに、吠はかつてハンバーガーをおごってくれたアルバイト仲間を救うため、指輪の力で戦いに挑みます。
東映の松浦大悟チーフプロデューサーは、「目の前で苦しんでいる人がいるなら、理由はなくても手を差し伸べる。それが、この作品の正義なのかもしれません」と語っています。

絶対悪?戦隊ヒーローの変化

1975年に放送が始まった初代「秘密戦隊ゴレンジャー」以来、スーパー戦隊シリーズは「弱者を助け、強者に立ち向かう正義の味方」というイメージで親しまれてきました。
長年にわたり特撮作品に携わってきた東映の白倉伸一郎・上席執行役員は、「かつては《鉄のカーテン》の向こう側に悪が存在するという世界観を、制作側と視聴者が共通して持っていたため、純粋な悪を描くことができました」と語っています。
しかし、冷戦の終結をきっかけに、1990年代からそうした価値観に変化が現れました。
1995年には、オウム真理教による地下鉄サリン事件も発生し、「悪は遠い存在ではなく、実は身近に潜んでいるのではないか」と、多くの人が感じるようになったのです。
「制作する側も、《絶対的な悪》という存在を信じるのが難しくなりました」と白倉さんは言います。
その結果、敵キャラクターの「着ぐるみ率」が上昇し、よりファンタジー色の強い存在として描かれるようになっていきました。
さらに、明確に悪と断言できない敵も登場するようになり、戦隊シリーズはより複雑なテーマを内包する作品へと進化していったのです。

正義とは誰が決めるのか?私たちは境界線を求めすぎていないか?

白倉さんは、2004年に出版した著書『ヒーローと正義』の中で、「人は、目に見えるかたちで象徴的な境界線を確認したがるものです」と述べています。
そもそも、私たちは映画やドラマなどの映像作品を見るとき、登場人物が実際に悪い行動をとっていなくても、服装や表情といった外見的な要素から「この人物は悪役だろう」と無意識に判断してしまう傾向があります。
善と悪、正と不正。そうしたわかりやすい二項対立で物事を捉えがちな私たちの見方に対し、白倉さんは注意を促しています。

ヒーローの正義はいったいどこへいった?利他の精神が問われる

英文学者である専修大学の河野真太郎教授は、近年のアメリカのヒーロー作品においても、「正義」の描き方が難しくなってきていると指摘しています。
その一例として挙げられるのが、2019年に公開された映画『ジョーカー』です。
この作品では、バットマンシリーズの悪役として知られるジョーカーが、社会の中で差別や排除に苦しむマイノリティーとして描かれており、単純に「悪」として片づけることができない存在になっています。
河野教授は、現代において正義をどう捉えるかを考えるうえで、「人のために行動する」という利他主義の回復こそが重要な課題であると述べています。
現代社会では、市場原理があらゆる領域に浸透し、個々が自分の利益を最優先に動くという前提が定着しています。
そのような時代の中で、「ヒーローとは本来、利他的な存在である」という従来の常識をいったん問い直し、それでもなお利他の精神を取り戻せるのか。
現代のヒーロー作品は、まさにその問いと真剣に向き合っているのです。

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